この日本列島には
およそ2万年前までゾウの仲間が生息していた・・・。
日本で生息していたゾウで有名なのが、言うまでもなく、
長野県の野尻湖をはじめ全国各地100々所から多数の化石が発見されいる
「ナウマン象」だろう。
ナウマンゾウ 学名(Palaeoloxodon naumanni )
おそらく、当時の日本で当たり前のように見られたゾウであったことだろう。
35万年前より日本に生息した
ナウマン象は近縁であるアジアゾウ
より体格はやや小さいものの、
牙はよく発達しており、オスでは牙の長さが240cmにもなったようだ!
そして、ベレー帽をかぶったような頭のでっぱりがなによりもの特徴である。
そして、ナウマンゾウが日本にいた時代に
もうひとつのゾウの仲間が生息していた!
マンモスだ!
ナウマンゾウよりも毛は長く、より北方の寒冷な地域に生息していた
ケナガマンモス 学名(Mammuthus primigenius )
マンモスの化石は北海道にだけ発見されている。
北海道の夕張市やえりも町、根室海峡の海底などにマンモスの臼歯化石が
発見されているが、
それらの化石の年代を調べた結果、マンモスは
4万5000年~3万7000年前と
2万5000年~2万年前の2期に分かれて北海道に生息していたようだ。
どうやらマンモスが日本に生息していたのは
北海道のみで生息期間も限定的であったようだ。
さて
ナウマンゾウやマンモスは海に囲まれた島国の日本に
どのように大陸から渡ってきたのか。
ナウマンゾウ、マンモスはいずれも氷河期という世界的に寒冷な気候のもとで
生活してきたゾウである。
氷河期ともなると、海水が大陸の氷河となるため、海水が減り、
海退(海面の低下)が起こるため、浅い海は陸地と化すのだ!
おそらく氷河期のピークともなると、
現在よりも海面が100m以上も下がったという!
現在、北海道とサハリンの間にある宗谷海峡は水深45mほどと浅く
氷河期では当然のことながら陸続きであったことだろう。
マンモスはシベリアからサハリン経由で南下し、北海道に渡ってきたと考えられる。
そしてナウマンゾウは
マンモスより比較的温暖な南方の地域に生息しており、
九州と朝鮮半島の間にある対馬海峡から渡ってきたものと考えられる
対馬海峡は水深130mはあるが、おそらく川のように狭くなり、
35万年前から日本にいたナウマンゾウが
対馬海峡経由で日本と大陸を行き来する機会は十分にあっただろう。
しかし、マンモスもナウマンゾウも
渡れなかった海峡がある!
それが北海道と本州の間にある「津軽海峡」だ。
水深150mと深く、氷河期のピーク時でも
陸続きになることはなかったという。
おそらくマンモス象やナウマン象は
北海道と本州のあいだを渡ることはできなかっただろう。
マンモスの化石が北海道でしか発見されないのも、そのためである。
実に、マンモスの化石に限らず、北海道には
ヒグマ
やキタキツネなど本州では見られない動物。
逆に
本州以南はツキノワグマ
、ホンドキヅネなど北海道では見られない動物が生息し、
あきらかに生物相が異なっていることがうかがえる。
この津軽海峡は動植物の分布境界線の一つ
「ブラキストン線」とも呼ばれている。
ところが・・・!
対馬海峡から日本に入ったとされるナウマンゾウは
北海道でも化石が発見されているのだ!
ナウマンゾウは
本州から北海道へ津軽海峡を渡ることができたのか・・・?
答えは単純だ!
大陸にいたナウマンゾウの一部は津軽海峡を渡らず、
マンモスと同じルートである
サハリン経由で北海道に入ったものと思われ、
ナウマンゾウは
北方の宗谷海峡と南方の対馬海峡の2つのルート
で日本に渡ってきたと考えられる。